ペットといっしょに考えよう
似たもの同志
俗に、犬は人に付き、猫は家に付くと言われますが、確かに犬の場合は飼い主の一挙手一投足に鋭敏な反応を示し学習をしていくようです。そのせいでしょうか、時たま、飼い主によく似た犬や犬によく似た飼い主を見かけることがあります。 過日も、アイツ(6才・36Kg)と散歩中に出会った中年女性とご愛犬(シ−ズ)のコンビはあたかも双子(?)のごとくに顔が似ており、まさにそっくり賞ものでした。不謹慎とは思いましたが、すれ違った後に思わず吹き出してしまったところです。同時に、ならば他人から我々を見ればどのように写っているのか、フッと考え込んでしまいました。家人に言わせれば、顔はともかくとして、性格はウリ二つの由。即ち、いつも快食・快眠・快便を励行するガッツキ同志だそうです。 しかし、強いて迷コンビのほめられる点と言えば、それはフンの処理マナーがよいことでしょうか。大きな背中を窮屈に丸めながら排便をした後、アイツは決まって座れの姿勢で、人が始末をしている姿をジッと監視しているのです。時には「オマエ、何様の積もりだ」としゃくにもさわりますが、これではいい加減な手抜きは許されません。そのくせ、よその犬のモノを拾っても、そんなパフォーマンスは一切しないから不思議です。 それだけに、スコップやビニールを持参しながら、他人の目を盗んでは平然と放置して立ち去る飼い主の気が知れないし、絶対に許せません。何よりもそんな軽薄な飼い主の気配を察知している犬が気の毒です。なぜならば、双方は言わば合わせ鏡のような存在であり、見かけは立派でも品性(?)の欠落が推しはかられているからです。 犬のフン一つを処理するマナーがなくて犬を飼う資格はありません。否、毎度のごとく繰り返される確信犯ならば、それは厳密に言えば軽犯罪法に抵触する次元の事柄だからです。犬を家族の一員と称するならば、当然ながら社会の一員としてのマナー・モラルが不可欠でしょう。 今年こそ、動物愛護をより推進するために、飼い主責任の実践が極めて肝要です。 財団法人日本動物愛護協会理事・事務局長会田保彦 |
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