ペットといっしょに考えよう
自然界に学ぶ
私事で恐縮ですが、年末には「村の渡しの船頭さん」と同じ年を迎えます。 そろそろ人生の棚卸をしながら余生の設計を始める時期なのですが、現実は毎月のように手帳は真っ黒に埋め尽くされ、仕事に追われて余裕のないこと夥びただしく、誠に恥ずかしい限りです。そのくせ、いつかきっとアイツ(6才・36Kg)と日本一周の気ままな旅に出かけようなどと、青臭い夢を膨らませているところです。 折しも、目下、そんな夢に向かってチャレンジしている年若い一人の友人がいます。敢えて一流会社の第一線を退職し、「将来を見据えて充電すべく大自然に触れて来ます」と言い残し、10月の半ばに愛犬(フラットコーテッド・レトリ−バー)と共に、寝袋を持って秋冷の北海道に旅立ちました。若さとロマンを求めてやまない強固な意思がうらやましくてなりません。 と言うのは、日頃は好きな動物に関する情報満載の職場に身を置き、いささかの勉強を継続していますが、ともすると目先の対応にばかり奔走して頭でっかちになり、フィールド(自然界の実態)が置き去りにされることがあるからです。この世界は、決して知識だけでは成り立たず、体感する知恵と表裏一体になってこそ、より深く理解できるものなのです。その代償としてせめてもの慰めは、アイツと体臭を共有し風と遊びながら一緒に過ごす散歩のひとときです。未だに、アイツの全ての行動(習性、生理、生態)が新鮮で興味が尽きることはありません。まさに、犬は自然界からのメッセンジャーとして人間社会に取り込まれた、と信じる所以です。 それだけに、仕事が忙しくて散歩をさせる時間がないので高級な純血種を手放したいとか、先天的な疾患があり治療に金がかかるので飼えない等と言う、ふらちな相談電話に接すると怒り心頭に発します。動物の生命に無責任な飼い主ほど手に負えない存在はなく、社会のガンと断定しても過言ではないでしょう。動物愛護とは、そんな閑人の道楽ではないし、ましてや身勝手でヤワな連中を救う活動でもないからです。 日毎に寒さが募りますが、北の大地で浩然の気を養い、一段とたくましくなったであろう若い友人の無事の帰京を待ち侘びています。 財団法人日本動物愛護協会理事・事務局長会田保彦 |
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