ペットといっしょに考えよう
Amazing Grace(アメイジング グレイス)
散歩と言えば、アイツの視力が減退して以来、東の方にある神社の石段等の段差は避けて、フラットな地域ばかり選んでいます。幸い、視力以外の体調は問題なく、相変わらず快食・快便を維持してくれるのが嬉しい限りです。 この間、盲導人(?)としての案内役もすっかり板につき、もっぱら脚足行進(リーダーウォーク)が原則ですが、時に広い芝生などでは思いきり横に広がってゆうゆうと歩き回ります。それにしても、アイツの障害物忌避反応もまんざら捨てたものではなく、時にうっかり目を離すと金網やブロックに衝突することもありますが、リードを持つ指先のかすかなコントロールに従い、植え込みや林の樹間は実に上手に通り抜けます。多分、植物が発する個有の生命感やぬくもりを嗅覚で察知しているのでしょう。こんな他愛ないひととき、アイツがいとおしくてなりません。 それと言うのも、このところお世話になっている知人(福島県・滋賀県に在住)の愛犬が相次いで亡くなる悲報が届き、人ごとならず遠方より安住を祈っているところで、更には、心ある飼い主の懸命な介護を受けながら、かすかに生命の灯をともしている犬たちが身近に控えているからです。生きとし生ける生命体がいつしか終焉を迎えるのは摂理のはずですが、たとえそれが輪廻転生であれ昇天であれ、残された者はいっときの悲しみを避けて通ることはできないのです。 そんなことを思っていると、つい口をついてくるのが、賛美歌として知られる「アメイジンググレイス」(オリジナルは1700年代後半の黒人霊歌)のメロディです。何故か、気高く美しい旋律に気持ちが救われるような気がするのです。そして、この歌の中には、多くの危険や苦闘や困難を私は乗り越えてきた、という心をうつフレーズも含まれています。かの、アルバート・シュバイツァ−博士が「すべての生きものの生命に尊厳を、我々がヒューマニズムを失った時は、我々が文明そのものを失う時である」(要約)と話されたように、人であれ動物であれ、生命の同一性はかわりません。辛いお気持ちはお察しいたしますが、どうぞ動物を慈しむ豊かなヒューマニティで乗り越えて下さい。 財団法人日本動物愛護協会理事・事務局長会田保彦 |
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