ペットといっしょに考えよう
ねこ問題
この間、アイツ(9才・36Kg)の健康チェックには万全を期し、視力は如何ともしがたいのですが、食欲、排便、毛艶とも申し分なく元気に秋を迎えられそうです。元気と言えば、甲子園で繰り広げられた高等学校野球選手権の熱闘には日本中がフィーバーしてタップリの元気をもらいました。そして、「ハンカチ王子」からは爽やかさと真摯さを。 しかし、一服の清涼剤を堪能した直後の週明けは、一転してとんでもない惨たらしい情報が飛び込んできました。某一流新聞の夕刊に掲載された作家・坂東眞砂子氏の「子猫殺し」なるエッセイです。ここでは、当該文章におけるロジックの不整合を糾弾し、感情論で裁断する積もりはないし、紙幅もありません。もとより、個人としての見解は自由であり止めることはできませんが、氏は敢えて物議をかもしだすことを予期して寄稿し、社会の木鐸たる公のメディアもまたこのような反社会的な文章を平然と取り上げたことが公序良俗維持の上で大いに疑問なのです。案の定、月末10日間の事務所は殺到する電話、FAX、メールそしてマスコミ各社からの取材に忙殺されました。たとえ、国内法の及ばぬ外地での出来事とはいえ、命を踏みにじる心のささくれだった凶悪事件が頻発する時世に余計な拍車をかけないで欲しいものです。 併せて、この機に日本人の「動物観」と「動物愛護管理法」の関連について一言ふれておきます。本来、個人的な動物観と万人に適用される法律は馴染み難い要素はあるのですが、一例を「ねこ問題」に特化して考えてみたいと思います。多くの愛好者のねこに対する動物観は千差万別で、彼女(彼)等の間ではねこと社会との関わりについての十分な共通認識が欠如しがちです。具体例として、所有者のいないねこについても唯我独尊の善意(?)が一人歩きし、無責任な餌やりと「地域ねこ」の区別がされていないのです。一方の法律は、社会規範として国民のコンセンサスに基づく必要があり、その法益は動物(ねこ)そのものを対象にしている訳ではなく、社会秩序としての動物愛護精神を涵養しようとするものなのです。この根本的な原則を理解せず、ボタンの掛け違いによって生じるトラブルが全国的に激増しているのが現実です。 昼間の熱気をさますべく、夜更けの公園でアイツと芝生にたたずんでいますと、漆黒の緑の中で紅一点のサルスベリだけが盛り上がるような花を咲かせていました。それは、あたかも将来における人と動物の共生に至る道しるべであるかのように感じたところです。 財団法人日本動物愛護協会理事・事務局長会田保彦 |
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