ペットといっしょに考えよう
温故知新
道の端では野菊も咲きはじめました。どういう訳かこの花を見ると、半世紀以上も前に習った同じ題名の小学唱歌を思い出し、口ずさみます。 半世紀と言えば、過日は図らずも往時の本協会資料をひもとき、その歴史を振り返る機会がありました。それは、元理事長の斎藤弘吉(故人)氏が描いた、渋谷区の千駄ケ谷時代における協会建物の平面図スケッチです。 390坪の敷地には、高度医療を誇った付属動物病院と犬・猫用のシェルターが整然と記されており、欧米の動物愛護先進国の諸施設と比較しましても、決して遜色のない立派なものでした。因みに、ちょうど49年前の昭和32年10月度における活動結果を調べると、病院の外来患者は256匹・入院患者は33匹・緊急患者は46匹で、一方のシェルターでは引き取りが434匹で里親決定は50匹となっています。台所事情は火の車だったと聞き及んでいますが、それにしてもわずか1ケ月で大変な実績です。日本の動物愛護運動の先駆けを築かれた先輩諸氏のご活躍とご苦労に改めて深甚なる敬意を覚えたところです。 懐旧趣味と笑われるかもしれませんが、もう一つだけ昔話を披瀝いたしますと、当時、中学2年生だった筆者はシロという雄の中型雑種犬を飼い、 可愛がっていました。但し、餌はテーブルスクラップ(残り物)、しつけはゼロ、 狂犬病予防注射以外のワクチン接種はナシ、散歩はノーリードのままで自転車と併走させるという、今思えば乱暴きわまりない番犬としての飼い方でした。 やがて、フィラリアに犯されて生を終えるのですが、その時は家族5人が寒夜に立ち尽くして言葉もなく見守り続け、シロはまぎれもなく家族の一員でした。 そして、その前に往診にみえた獣医さんのユニークな診断、「この症状は、蚊が媒体するこの土地特有の風土病(?)で、そのため当該地(世田谷区)では犬は長生きできないのです」とのご託宣も忘れられません。 まさに、隔世の感がいたします。 話を現代に戻します。秋晴れの公園には、生後3ケ月位の新顔の小犬たちが続々とデビューしてくるのですが、例によって純血種・小型室内犬の オンパレードで飼い主の皆さんは食事(フード)の量、社会化学習の進み具合、防寒用ファッション衣類等、マニュアル情報通りの話題に花を咲かせています。 豊かな時代を反映してのことで結構なのですが、2万年も続いた人と犬の係わりは不変と理解しています。犬はあくまでも犬であり、個性も千差万別です。 飼い主の最大責務は、自分の犬が犬らしく成長し暮らせるよう、まず何よりも健康と安全に留意することが基本です。 寒さとともにアイツは自慢の嗅覚(警察犬認定資格所有)が冴え出し、時に不自由な視力をものともせずに 目的物に猪突猛進することがあります。それもまたアイツらしくて楽しいのです。 財団法人日本動物愛護協会理事・事務局長 会田保彦 |
|