ペットといっしょに考えよう
キャラクター
アイツ(10才・35Kg)との距離がわずか1メートルほどに接近し、ようやく二羽は移動を始めます。この間、アイツは絶えず蒸気機関車のような激しい息遣いをしているのですが、やさしすぎるのか、はたまた鈍くてなめられている(?)のか、ハトたちは全く警戒心を持ちません。いずれにしろ動物種間におけるセーフティディスタンス(安全距離)がきちんと担保されているからなのでしょう。 散歩仲間のブリュタニースパニエルの飼い主に伝えると、「とんでもない。10メートル以上も前方からキジバトの存在を察知してポイントを開始する」とのこと。同じく仲間のジャックラッセルにいたっては、周囲がおよそ2キロメートルの公園を自転車で3周も走らせてもほとんど呼吸を乱さずに平然としています。確かに、犬種特性と言えばそれまでですが、同じ犬でもずいぶんと違いのあることを実感いたします。ところが、日頃の動物相談電話では、犬の違いについての飼い主の認識不足を痛感させられることがしばしばあります。それは、まるで機械製品の仕様マニュアルを読むごとくに情報を鵜呑みにし、その通りでない不安を訴えてくるものです。たとえ同犬種であっても100匹いれば、その数だけDNAやキャラクターが異なるのは当然で、それこそが生命体の証であるにもかかわらず、自覚できていないのです。例えば、柴犬の狼爪の有無、チワワの体重の大小、フレンチブルのしつけ具合の善し悪しなどの相談が然りです。しかも、この種の相談は大半が純血種に関するもので、犬としての資質において何らの遜色もない雑種については極めて少ないという事実もあります。即ち、スタンダードやマニュアルはあくまでも参考にすぎず、要は犬に対する愛情と信頼の問題だと思うのですが。 一方、さまつな事例から話は一挙に飛躍いたしますが、こんな傾向は何も犬だけのことではなさそうです。人々の価値観が複雑に多様化した現代社会は個性主義の時代とも言われています。しかし、一歩掘り下げて考えてみますとその「個性」とは何なのか、正直に言ってわからないことだらけです。 多分、それは画一的な集団主義を否定しているのでしょうが、そうは言いながらも結局は前述のマニュアルのように皆が一括りで同じことをめざし、そぐわないケースに思い悩んでいるような気がします。これ以上は、哲学者でも教育者でもない門外漢には不明ですが、オール・オア・ナッシグではなく、すべからく個人(個性主義)と社会(相対主義)とのバランス感覚が大事だと思っています。 アイツに話を戻します。老齢のせいか、たとえ少々鈍くてスタミナ不足でも、根っから気はやさしくて力持ちのキャラクターは掛け替えのない存在で、これからも、お互いにいたわりあって暮らしていくつもりです。皆さんも、どうぞ安易なペットブームの諸情報に押し流されずに愛犬の性格を熟知し、オリジナルなペットライフをお楽しみ下さい。 財団法人日本動物愛護協会理事・事務局長 会田保彦 |
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